元治元年(1864年)この門の周辺で、長州藩と御所の警備に当たっていた会津藩・薩摩藩との間で激しい戦いがありました。これが「蛤御門の変」(禁門の変)です。もともと「新在家門」と呼ばれていたのですが、宝栄の大火(1708年)の際、それまで閉ざされていた門が初めて開かれたために「焼けて口開く蛤」にたとえられて「蛤御門」と呼ばれるようになったと言われています。
門柱に弾痕が残っています。