島原地域の拡大図
あげや
島原大門
角屋
島原西門碑
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島原を詠んだ歌
石碑に刻まれています。
おきや
島原は揚屋(置屋から太夫や芸妓を呼んで宴会を催し客をもてなす店。今でいう料亭。)や茶屋が中心で、町の形態は「花街」であります。町には歌舞練場があり多くの文人・俳人・画人が集い、政財界や志士たちが出入りして大いに繁盛していました。
はなまち
「花街」のはじまりは、天正十五年(1589)豊臣秀吉の公許を得て柳馬場二条に開かれ、「新屋敷」といわれていました。その後、六条柳町に移され「六条三筋町」と呼ばれ、今の西新屋敷に移されたのは、寛永十八年(1641)でありました。その移転があまりにも急で、住人の狼狽や移転騒動が「島原の乱」の様子に似ていることからこの地を「島原」と呼ぶようになりました。